私は小学生(1980年)の頃から「コッキーポップ」を聴いていましたが、
『窓ガラスのへのへのもへじ』が、つま恋本選会で優秀曲賞を受賞した
時、可愛いくて良い感じだなあ…とファン心が芽生えましたが特に強い
思い入れはありませんでした。しかし、その後、某ローカル局で野球の
中継が早まった時などに『窓ガラスのへのへのもへじ』のプロモが放映
されることがあったのですが、偶然それを見た私は思わずテレビ画面
に釘付けになってしまいました。
ちなみにプロモでの映像は、レコードのジャケットにある絵のアニメ版
です。その画像はなかなか印象的でしたが、それに、あのハーモニー
が見事に合わさって、私の人生にレボリューションを起こしました。
その後レコードを探しても、なかなか見つからない。そりゃそうだ。まだ
まだ発売してなかったんですから。実際の発売日は1985年2月25日
なのですが、その頃にはCMも流れていて、容易に手に入れることが
出来ました。でも店頭で手にした時は嬉しさで体が震えてましたよ。
しかもその時、手持ちがなくて友達に出してもらったんだな、これが…。
その後、兵庫県のグリーンピア三木でのライブにゲスト出演するという
情報も入手しましたが、まだ行動力に限界がある当時のこと、泣く泣く
見送ったという経験もありました。
「おいでブランコリー」の頃は、既に「コッキーポップ」の放送が終了して
いた(少なくとも関西圏は)ので、情報入手に苦労しましたが、日頃から
必死にアンテナをはっていたので何とかシングルも入手。みんなのうた
で放映された「最後のシュート」も、なにげなくNHK−AMを聴いていた
時の驚くほどの偶然の出逢いでした。
意識をしたわけではないと思いますが、気が付くと、さそり座の2人の
出身地でもある愛知県にある大学へ進学していました。とはいっても
1〜3年まで音沙汰がなく、もう新曲は出ないだろうと諦めかけていた
1991年(大学4年)の秋、普段見ることがなかった新聞の、さらには
まず見ることはなかったラジオ欄を見たら、NHK−FMの午後3時の
ところに「DJ・さそり座」の文字が。しかも、それを見たのは放送開始
30分前のこと。もうこれは確かめるしかないとラジカセにかじりついて
聴いていたら「まさこ」さんと「ともみ」さんという名前のDJが。やっぱり
違うのか…いや、もしかしてメンバーチェンジかも、とドキドキしながら
聴いていると「加奈ちゃんは教育実習で…」とのこと。この時は何だか
安心したような嬉しかったような不思議な気持ちでした…。そういえば
「ともみ」さんとは、井深智美さんという方で、進行役みたいな感じかな。
このラジオのおかげで自主製作CDの発売を知ったり、ライブをラジオ
で聴けたり、SWAYへの改称を知ったり、フジテレビ系「うれしたのし
大好き」の挿入歌の採用も知りました…。
「太陽の下の一瞬」プロモ放映も、テレビ東京系「ぬ〜ぼ〜」の主題歌
「キライにならないで」も、朝起きたての時にテレビから流れる歌声で
気付きました。当時のウチのテレビは目覚し機能がついていて、毎日
それで起きていたのです。これも凄い偶然ですよね…。
このように、さそり座との出逢いは殆ど偶然なのです。もしも、その時
その時で、すこしでも行動がズレていたら、さそり座の辿って来た道を
追いかけて行くことは出来なかったでしょう。
でも、そんな私も「風の子フータ」発表時だけは知らなかったです…。
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